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2009 年12 月27 日

開浄水場休止差止請求事件京都地裁判決批判(その7)

 判決の最大の問題点のその2は、行政が住民に対する約束を守らなくてよいのか(行政は住民に対してした約束に拘束されないのか)ということである。

 約束は守らなければならない。これは最も一般的で重要な市民社会のルールである。行政にとっても同じである。
 よく対比されるのは、政権政党の選挙時のマニフェストや公約である。マニフェストや公約は国民に対する約束だと言われるが、それを守らなくても、債務不履行で損害賠償または履行強制の判決が言い渡されることはない。それはマニフェストや公約は、国民に対する「政治的」約束であり、不履行の場合の責任は「政治的責任」であるからである。
 それでは、開地区における市長や市議会の約束は、これと同じく政治的約束に過ぎないのか。

 政治的約束であって政治的責任しか問われないのか、それとも法的約束、すなわち契約として法的責任を問われるのかのメルクマールは、内容の抽象性、特定性等指摘されているが、一番大きなポイントは、その内容の実現を裁判所が強制できるのか(要するに、不履行の場合に、裁判所がその履行を命じたり、損害賠償を認めたりできるのか)、そうするのが適切か、そのことについて当事者間に意思の合致があるかどうかであろう。

 マニフェストが政治的約束にすぎないとされるのは、その内容が抽象的で特定できないということではなく、裁判所が内閣や政権政党に対して履行強制や損害賠償を命じることが三権分立に反するからだ。
それでは、開地区の場合はどうか。

 昭和50年台、当時の宇治市長は、住民に対して「三者三様負担案」(日産車体は浄水場用地を提供し、市は浄水場を建設し、住民は一定の費用負担をする)を提示し、繰り返し「市が末代にわたるまで責任を持って地下水を供給する」と明言し、その旨議事録に残された。
 市議会も、市長の意向を了承し、住民からの開簡易水道存続請願を満場一致で採択し、開地区住民に給水するための開浄水場建設予算を承認した。
 他方、住民は、市長提案の「三者三様負担」を了承し、開簡易水道存続の要求を取り下げ、市水道に切り替えるための費用負担増額(加入金・工事費の支払い、水道料金の増額)を受け入れた。

 判決は、53年覚書には地下水を供給するとか、何時まで開浄水場を存続させるとかの記載がないというが、詭弁である。宇治市は末代に至るまで、すなわち永久に、地下水を水源とする水を供給することを約束したのである。
 しかも、この約束は、部長や課長という、権原のない、担当者限りで約束したものではなく、宇治市を代表する権原のある市長が約束したのであり、その約束を市議会も了承したのである。この点においても、「三者三様負担合意」「や「53年覚書」は単なる市長の確約にとどまるものではない。宇治市の意思決定機関がした正式な約束である。
 開地区住民はその約束に対し、市と給水契約をし、加入金・工事費の支払いと水道料金の増額を受け入れたのである。また、これを受けて、宇治市は加入金・工事費予納金の受入につき条例の規定とは異なる「超法規的」取扱いをした。これも住民との「約束」を履行するためである。
     (「追記」に続く)

 この約束を裁判所が宇治市に対して履行を強制するのは、何ら三権分立に反するものではない。これを裁判所が法的に履行を強制したとしても何ら問題はない。市の意思決定ルールが侵害されるわけでもなければ、財政的基盤が侵害されるわけでもないし、開地区住民だけが不当な利益を受けるものでもない。この約束は、選挙の際の立候補者のリップサービスでもない。社会通念・社会常識に照らしてどこにも問題はない。
 逆に、これだけの「約束」をして、地方自治体が法的責任を問われないというのは、裁判所の司法権・判断権の放棄・職務怠慢、治外法権の無法な承認以外の何ものでもない。

投稿者:ゆかわat 14 :15| ビジネス | コメント(0 )

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